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遺族様インタビュー

お客様よりいただいたインタビューのご紹介です。

2024/06/02 内海様

伊江の海原に舞う母との旅路

2023年12月に散骨を終えられた内海様。当初2023年10月の出航を予定しておりましたが天候不良により延期し、2か月の期間を開けて出航となりました。散骨を選択するに至った経緯や延期を経験し散骨が終わった今のお気持ちをインタビューさせていただきました。

 

明石)今回、散骨を選ばれた理由を教えてください。

 

内海様)姉が5年ほど前に散骨をテレビで知ったことが始まりでした。姉自身が海洋散骨を希望していて、母も「お墓に入りたくない」と意見が一致したみたいです。正直、私自身は散骨に違和感がありました。代々続くお墓があって、子供のころは毎年お盆にはお墓参りにも行っていましたから。

 

明石)散骨以外の選択肢はありましたか?

 

内海様)墓地に納骨するよりは樹木葬を一つの選択肢と考えていました。以前、地元の六甲山の近くかどこかで樹木葬があるという話をテレビで観たので、資料を取り寄せ、いろんなところに電話をして良いところがないか探しました。木が年々に育っていき、毎年お参りに行ける先があるとありがたいと考えていました。

関西だけでなく関東での樹木葬について資料を取り寄せて調べたのですが、イメージとは異なっていました。いわゆる木の根元にお骨を埋めるものはなく、1本の樹木の下に多くの故人の方々の遺骨が安置され、名前が刻まれたタイルが置かれるタイプがたくさんあって… お墓とほとんど変わらない形式ばかりでした。母の出身地でも探しましたが、私の思い描いていたものとは違ったので、樹木葬の選択肢はなくなりました。納骨方法の選択は私に一任されていたので、母の遺骨をどのように納めるかを考える度に途方に暮れる日々が続きました。

2023年8月頃に姉から「年内にはなんとかしたい」と言われ、ほかの選択肢が見いだせない中、「海に散骨にするしかないか…」とインターネットで調べ始め、ブルーオーシャンセレモニーに行きついたという流れです。

 

明石)最終的に散骨を選ばれたのは、お母様の希望を叶えたいという思いからでしょうか?

 

内海様)そうですね。ですが、納骨方法を悩み続けて最終的には1年くらい経っていました。

 

明石)弊社でご予約いただいた後、どこかで気持ちの変化はありましたか?

 

内海様)何度もありました。私の中で、どうしても散骨がしっくりこない気持ちが残っていたので。遺骨の全てを海に散骨するのではなく、「姉と私の分を少しずつ分骨したい」とお願いしましたよね。

当初10月に予定していた散骨が台風で延期になりました。振替日の12月まで改めて考える時間ができたので、その頃には分骨も含め、すべての母の遺骨を散骨当日に沖縄の海に撒こう決めていました。ですが乗船して、いざとなると心の強い揺らぎから分骨は持ち帰ることにしました。先日、その分骨をどうするのか姉に訊ねました。姉も私も分骨をどうするか未だ答えが出せていません。

 

明石)兵庫県明石沖の海での散骨をお考えだった頃もありましたよね

 

内海様)沖縄は遠いので散骨は、実家から近い大蔵海岸の辺りでも検討しました。実際、神戸の港からの規定コースから離れた、明石沖にまで行って頂けるのかを船会社に問い合わせもさせていただき、快諾していただいていたのを覚えています。

 

明石)地元の明石沖という選択肢もあった中で伊江島に決定したのは、お姉様のお考えからですか?

 

内海様)姉から聞いたのですが、母には沖縄の海がいいという気持ちがありました。沖縄は母がダイビングで訪れた場所ですから。沖縄のどこで行うかは、沖縄出身の知人に海が綺麗な場所を聞いて伊江島に決めました。

 

【伊江島の海と景観】

 

明石)綺麗な海ということで伊江島を選ばれたのですね

 

内海様)散骨が伊江の海で本当によかったです。最初に御社からいただいたパンフレットを見た時は、島での散骨は漁船で行うことに少し抵抗がありました。東京出航であれば豪華なクルーザーですからね。

 

でも、あの船(漁船)で良かったです。クルーザーよりも小さい船の方が海の偉大さを間近に感じられました。身を乗り出せば簡単に海面に近づけ、波しぶきが心地よかったです。これまでの人生の中で色々な船に乗ってきていますが一番親近感を持てました。

 

【セレモニーの様子】

 

明石)散骨後、本島も含めて沖縄観光するとおっしゃっていましたよね。

 

内海様)散骨では前日から伊江島に行きました。

島に到着した日はとても晴れていて、夕日が水平線に沈んでいく中、虹が現れたので、みんなで「奇跡だ」と。自然の圧倒的な美しさに包みこまれて、心に刻まれる感動的な時間を過ごせました。夕飯は田んぼの真ん中に一軒だけポツンとある洋風レストランに食べに行き、ヴィラに泊まることも初めて。ほかにも島の岩山タッチュー(城山)を登山し、美ら海水族館や首里城にも行きました。どれも散骨に結び付く貴重な思い出です。

 

【水平線に沈む夕日と虹】

 

姉は散骨の場所にこだわりを持っていなかったのですが、「伊江島はいい景色だったし、滅多に集まらない家族が時間を一緒に過ごして、改めて家族の結束ができて良かった」と言っています。散骨をきっかけに初めて伊江島に訪れましたが、母と一緒に沖縄旅行をしたという気持ちです。

 

明石)散骨は納骨ではなく、旅行であったということでしょうか?

 

内海様)一般的な納骨とは大きく違い、散骨は「旅」でした。

今回の散骨には、心に焼き付いた沢山の思い出が詰まっています。沖縄の青空のもと、青い海での散骨は開放的な体験で決して忘れられないです。地元明石の海で散骨したらどうだったのだろう?と考えると、地味に終わっていた気がします。とりわけ日常からかけ離れたことはしなかったでしょうから。

 

【那覇~伊江島での旅の記録】

 

明石)迷いがあった中、散骨して良かったと思えたのは伊江島のお陰なのですね

 

内海様)お墓があると定期的に法事がありますよね。散骨の場合はそういう義務的なものが必要ないという部分がメリットの一つですが、私は沖縄・伊江島を訪れます。母と散骨のおかげで新しい縁に恵まれ良いきっかけになりました。

 

明石)長く悩んで当日迎えたことと存じます。無事終えられた今、内海様のお気持ちを伺えて良かったです。本日はありがとうございました。

 

内海様)母も伊江島での散骨を喜んでくれていると願っています。

今日、姉はこのインタビューに参加できませんでしたが「現地スタッフへ委託ではなく、東京のスタッフが伊江島まで一緒に散骨を手伝いに来てくれたことがとても嬉しかった」と言っていましたよ。

こちらこそありがとうございました。

 

【お花のお手向けの様子】

明石
離島やお住まいから遠く離れた場所での散骨は延期のリスクも伴い、ご負担も大きいことだと思います。それでも伊江島に赴き、散骨した一連の行程が思い出となったことを伺って一安心しました。
 縁の無い土地でも散骨をきっかけに出会いが生まれ、また会いに行きたいと思える場所になるというのは散骨ならではの偲び方になるのでしょうか。
もちろん慣れ親しんだ土地での散骨も、海から見る景色はまた違った光景になるかも知れません。どんな方にとっても散骨が思い出となるよう、これからもサポートさせていただきます。

明石

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