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遺族様インタビュー

お客様よりいただいたインタビューのご紹介です。

2019/02/14 笠松様

親族みんなで楽しく幸せな時間を共有した散骨クルーズ

母の悩みはお墓がないことだった

カーン、カーン──。大空へと鳴り響く鐘の音が届いたのでしょうか。カモメたちが船を追うように舞い降りてきました。海面には百合の花々がゆらゆらと浮かび、船は花たちに引き寄せられるように近づいていきます。
「あ、お母さんの所に戻ってきた…」ゆみ子さんはつぶやきました。
百合は母の田鶴子さんが大好きだった花。船上から散骨と献花を行った後に、船はゆっくり湾内を旋回し、母が百合と共にいるであろうポイントに再び帰ってきたのでした。
「お骨は溶けて海の中に帰っていっちゃったけど、百合は海で咲いて、ここだよーって待っていてくれたような気がして……。本当に嬉しかったです」

田鶴子さんは、大正から昭和、平成へと時代の最先端を、旧習に捕らわれることなく、いきいきと自由に生き抜いた女性です。ゆみ子さんは母親として、また一人の女性としてずっと誇りに思ってきました。

もう何年も前のこと。いつも元気な田鶴子さんが、何かに想い悩んでいる様子です。
「いったいどうしたの?そう尋ねると『私にはお墓がない。死んだらどうなるの。私のお骨をずっと置いておくわけにもいかないでしょう。例えお墓があったとしても、墓石の下に入るのは嫌』ときっぱり言い切ったのです」
すると傍らにいた姉がこう言いました。
「私は自分が死んだら散骨にするって決めているのよ」
母の顔がパッと輝きました。
「私もそうするわ!」
たちまちいつもの溌剌とした母に戻ったのです。
散骨 笠松様 008

奥深い魅力を秘めた海洋葬を知る

2017年、春の足音が近づき始めた頃。
「体調が悪くなった母に、『病院に行ったほうがいいわよ』と声をかけると、あれ程病院嫌いだった母が、素直に頷くんです」
診察後、そのまま入院し、程なく田鶴子さんは静かに息を引き取ってしまいました。
それから1年余り経ちました。自宅に帰ってきたご遺骨は、ずっと安置されたままでした。ゆみ子さんは言葉では言い表せない喪失感を抱えながら、散骨のパンフレットを集めたり、樹木葬など他の自然葬も考えたりしました。

「やはり母が望んだのは散骨です。思い切ってブルーオーシャンセレモニーに連絡したのです」
するとすぐに散骨コーディネーターの羽田さんがご自宅を訪れました。
「そもそも海洋葬とは何か。どんなプランが用意されているのか。遺骨はどうするのか。段取りはどうか。場面場面での選択肢をたくさん示してくださいました。知らないことだらけの海洋散骨について丁寧な説明を受けられました」

いつでも大切な人を偲ぶことができるのが散骨です──姉も同席し、一緒に説明に耳を傾けました。
「羽田さんに、母がどういう人だったか、思い出を話し始めたら止まらなくなって・・・。姉と一緒に泣いてしまいました。二人だけで母の話をすることはあったけれど、他の人とはなかなかできなくて。話を一生懸命聞いてくださったので、気付いたら長い時間が経っていました」

散骨 笠松様 052

見送る時は楽しく明るいセレモニーで

その日から担当者となった羽田さんとメールや電話でのやり取りが始まりました。
「海洋葬のイメージが自分の中でだんだんはっきりし、そうか、そういった流れに沿って淡々と取り行っていけば無事に終わらせることができそうだ、と安心できるようになりました。遺骨の一部を残して供養する手元供養もできることを知り、すごくいい方法だなと思いましたね」
田鶴子さんの愛したものは何か。それらをセレモニーにどう組み入れていくことができるのか。担当者と対話を重ねるなかで整理し、実現させていったのです。

“一艘まるごとチャーターしました。楽しい遊覧クルーズにしましょう。ぜひお集まりください”──。ゆみ子さんは想いを託した案内状を親族に送りました。一般的なご葬儀とはちょっと異なる、気持ちが明るくなるような招待状でした。
「私のような年齢になると、親族が集まるのは葬式の時くらいになるんです。貴重な時間ですから、なおさら素敵な時間にしたいと思いました」
格式張らずに、“過ごしやすい私服でお越しください”と書き添えました。
「皆さん、素直に受け取ってくださって嬉しかったですね」

秋風さわやかな10月、船の乗り場となる勝どき桟橋に、亡くなった田鶴子さんを供養するために7名の親族たちが集合しました。いつもと変わらないカジュアルな服装の方たちばかりです。船はレインボーブリッジに向かって走り出し、船長の挨拶が始まりました──。

ローリングストーズの乗りのいい音楽が流れ、船内は明るい雰囲気に満ちていました。
「母が夢中だったイギリスのロックバンドです。最後だからこそ、好きな曲で送ってあげたかった。クルーズの間、ずっとかけっぱなしにしてくださったのは嬉しかったです」
さらにスクリーンには、田鶴子さんが所持していた、愛らしい猫のDVDが映されました。
「猫も母が大好きだったんですよ」

「チャーターにしたのは、私たちだけで心ゆくまで母を送りたいと思ったからです。思った通り、気兼ねなく、和気あいあいと話せましたね。後で姉と『チャーターにしてよかったわね』と話しました。『今度はメモリアルチャーターをやりましょうよ』って盛り上がりました。次はもっと華やかにしたいです(笑)
いろんなプランを考えるとワクワクします。義理ではなく、みんなに楽しみにしてもらえるセレモニーが行えるんです」

「クルーズの様子を写真に撮ってくださったので、それをCDに焼いて、出席できなかった従姉妹の娘に送ったんです。そうしたら嬉しい返事が返ってきました。『散骨クルーズってどういう仕組みになっているのか、よくわからなかったけど、イメージがつかめました。力が入りすぎてなくて、アットホームな雰囲気がよく伝わってきました』と。優しくて可愛い子だなと思って」。
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散骨クルーズを節目に再出発できた

「葬儀ではお経をあげていただくのが一般的かもしれないけれど、日頃、お経に接していないものだから、意味がよくわからないですよね。だったら形にとらわれることなく、亡くなった人、送る人の気持ちを一番大事にして、素直に、純粋に供養するほうがいいと考えていました」

自由な心を持つ田鶴子さんにぴったりなセレモニーになった。そうゆみ子さんは心から思っています。
「散骨という方法があってよかったです。もしなかったら、今でも遺骨を手放せず、どうしたらいいか考えあぐねていたかもしれません。たとえ樹木葬を選んだとしても、山を越えるなど会いに行くのは大変ですし」

「母が亡くなってから散骨クルーズを行う10月まで、私の周りの世界はモノクロでした。他愛のないおしゃべりに相槌を打てないんです。そんなこと、どうでもいいじゃないのって。テレビで人が亡くなったというニュースが流れると、ただ泣けてくるばかり。
『そんな落ち込んでいるばかりではダメよ』って言ってくださる方がいると、怒りの感情が湧いていました。あなたに何がわかるのって。良かれと思っての言葉だとわかってはいたのですけれど。
でも海に散骨してから、気がついたら世の中の風景に少しずつ色が付き始めていました。それほどクルーズは良い時間だったんです。カモメが追悼してくれているように、船を追いかけてきたのは感動的でした……」

「お母さん、おはよう」
そう呼びかけるゆみ子さん。机の上には笑顔の美しい田鶴子さんのポートレートとマインドアルテ(携帯のお位牌)、そしてミニ骨壺が置かれています。
夜寝る前は、そっと写真立てを伏せて「おやすみなさい」と挨拶。
「夜中、部屋の明かりを付け忘れていたのに気付くと、『ごめん、お母さん、真っ暗で』と話しかけるんですよ。誰か見ていたらびっくりするかも(笑)」
田鶴子さんはゆみ子さんの心の中にいます。そしていつまでも幸せに暮らすよう見守ってくれているはず。
母と娘の温かな対話の日々が続いていきます。
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散骨当日の流れ

船長挨拶、船内説明
京浜運河を通って献花式(黙祷、挨拶、献花)
ポイントに到着するまで自由時間
ポイントに到着後、開式
後部デッキにておひとり様ずつ順番に散骨
献花のお花と生花祭壇のお花も海へ
鐘が鳴る間の黙祷
散骨したポイントを中心に三周旋回
閉式→帰港

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羽田瑠夏(散骨コーディネーター)
私は親戚が多くて、十代の頃から葬儀に参列する機会がとてもたくさんありました。葬儀社の方と話していて、いいお仕事だなと思ったのです。ご葬儀は、ご遺族の方にとって、大切な方をお見送りするただ一度の機会になりますよね。それをいかにサポートするのか。自分だったらどう考えてお支えできるのだろうか──。
葬祭の専門学校で学び、散骨と出会ってから、一般のご葬儀とはまた違う魅力に引かれました。
笠松さまとは長い時間お話をさせていただき、ありがたかったです。手元供養品をご自宅にお届けした時も2時間くらい長居してしまいました。ご迷惑ではなかったか心配ですけれど…。散骨クルーズが無事に終わった時は、ご遺族さまと一緒に、安心感と充実感でホーッと胸を撫で下ろしました。

中島みづき(散骨コーディネーター)
私も葬祭に関心を持ち、専門学校を卒業しました。散骨が終わった後、お客さまによく「遊びに来てね」と言っていただきます。ありがたいですね。ご葬儀の日は、お客さまにとって大事な再出発のきっかけになるのだと感じます。
お客さまから学び、育てられながら、心のこもったサポートができるように努めたいと思います。

羽田瑠夏 / 中島みづき
打ち合わせや、手元供養品のお届けの際に沢山お話をしました。散骨に対しての思いやお母様との思い出話、どんな方だったのかをお聞きしました。
残念なことに当日、担当だった私は乗船することができず、今でも後悔だけが残っていますが、それでも後日どんな散骨式だったのかをお聞きし、無事に終わったとのことで胸を撫でおろしました。
後日、散骨アドバイザー検定で体験談をお話しいただき、またお会いすることができ嬉しかったです。
散骨を終えたあとでも「遊びにいらしてくださいね」とおっしゃっていただけたのは、何よりの誉め言葉です。(羽田)

羽田瑠夏 / 中島みづき

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