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遺族様インタビュー

お客様よりいただいたインタビューのご紹介です。

2018/12/28 信川様

母の願いに応えて海へー涙あり、笑いありの思い出いっぱいのクルーズ

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母の肩をもみながら、二人で聞いた母の願い

信川和雄さんと富子さんは兄と妹。お母様の芳枝さんを昨年の2月に亡くされました。享年88歳。そして10月、89歳のお誕生日の日に、家族揃って、当社のチャーター便で散骨をされました。
富子さん:「亡くなる10カ月前に、母はペースメーカーの手術を受けましてね」
和雄さん:「今、思うとあれが負担だったんじゃないかな。2月に倒れて、9日ほどで逝っちゃってね。手術は反対したんですけどね……」
家族でも、死後の希望はなかなか本人には確認できないものです。介護が短い場合はなかなかその時間もつくれないもの。富子さんはお母さまと暮らしていました。
富子さん:「たまたまね、亡くなるひと月前に、兄がふらっと訪ねてきましてね」
和雄さん:「『おふくろ、死んだらどうする? ちゃんと言っておいてくれないと』って、俺が言ったんだよな」
富子さん:「そうしたら、『お墓はいや、海に撒いて』って、言ったんです。母は泳げないのに」
和雄さん:「俺は思ったね。これが決まったら、おふくろは長生きするって」
実は和雄さんはいずれ、お母様と自分が入るためのお墓を千葉に購入していました。死後は自分が母親をと考えていたそうです。しかし、これから時代は変わり、代が変われば、お墓の維持も墓参りも難しくなってくることを不安に思っていました。将来、子供や孫たちがどこに住むかはわかりません。
和雄さん:「あの時に聞いておいてよかったよな。妹がおふくろの肩をもんでね」
富子さん:「本当にあの日、兄さんが来てくれて良かった。三人揃えて」
和雄さん:「もしも、聞いてなかったら、お墓に入れちゃうところでした」
お二人のお父様は既にだいぶ前にお亡くなりになっていて、そのお墓は異母兄弟のお兄さんが守っています。いろいろな選択肢もあった中で、芳枝さんは海に還りたいと海洋散骨を希望されました。
葬祭場での葬儀の後、戒名は貰わずに、俗名で位牌をつくりました。四十九日日の法要もお坊さんにお願いしましたが、散骨を決めていました。

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海洋散骨の体験をして

母が望む海洋散骨をしてあげたいと、お二人はネットで情報を集め、体験クルーズに申し込みました。4月に最初に乗ったのが当社の体験クルーズでした。
富子さん:「あの時、権守さんにお会いしたのよね」
権守: 「お母さまのことを思い出されて、涙されていたのを覚えています」
和雄さん:「俺はね、もうここでいいじゃないかって、言ったんですよ。だけど、妹がもっと他も見て決めたいと」
権守「私が申し上げたんですよ。他の会社も見て、決めたほうが良いですよって」
当社の次に、他社の体験クルーズにも乗船されました。
和雄「全然、違ったんですよ。海に出たら、すぐに撒いちゃうんだよね。そりゃあ、燃料が大変なのはわかるけどね……。あんなに近くで撒いていいの?」
権守「当社では、日本海洋散骨協会に加盟して、そのルールにのっとって散骨をしておりますが、まだ日本では散骨にたいして、はっきりした規定がないのが現状です。でもあまり勝手なことをやっていれば、散骨自体を反対されてしまいますから。」
和雄さん:「でも、長いと大変でしょう。燃料は高いし」
権守:「まあ、正直なところ、厳しいです(笑)当社では実際の航路と同じにして、皆様に体験していただかないと意味がないと思っておりますので」
富子さん:「なんていうのかしら……。カモメを眺めるとか、思い出に残るようなことがよその会社では何もなかったですね」
権守さん:「思い出をつくるとやはり時間がかかりますから、当社のような自社船でないと難しいかもしれません」
信川さんは、最初は東京湾よりもお住まいがある千葉での散骨を希望されていました。芳枝さんにとって、千葉は思い出のある土地です。
権守:「千葉の方ですと、やはり船が揺れますね。大人数での参加と、やはり船内での会食を希望されていたので、東京湾をおすすめしました」

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「あなたも一緒に乗ってくださいよ!」

他社もご検討いただいたうえで、いろいろとご相談もさせていただいて、当社での散骨を決めていただきましたが、
富子さん:「いざという時に、当日の担当は違うスタッフになるかもしれないなんて言われて……」
権守:「出張が重なってしまいまして」
富子さん:「今更、そんなこと言わないでって」
権守:「信川さんがそこまでおっしゃってくださるならと、出張をやめました」
富子さん:「気持ちってすごいよね。やはり……大事な行事だもの。一回きりですもの……」

散骨に反対の意見を説得して

大切な人を失った悲しみの中で、散骨を決めた家族が一番つらいのは、周りに理解してもらえないこと。信川さんも兄妹で合意して決めたことですが、散骨に反対意見の方もいました。
富子さん:「やっぱりね、まだ散骨っていうと、遺骨を捨てた、撒いたっていうイメージが強くって……」
和雄さん:「お墓にきちんと入れて、お寺で供養しないといけないって考えがまだ強い人もいますからね。 散骨は供養じゃないと」
体験クルーズの説明をして、お墓を今後維持していくことの難しさを話して説得しました。しかし、言葉よりも実際に散骨に立ち会ってもらうことで、理解してもらえたそうです。
富子さん:「やっぱり、実際にしてみないとわからないもの」
和雄さん:「きっと、わかってもらえたんじゃないかな。そんな気がするね」

粉骨に立ち会って良かった

お二人で粉骨にも立ち会っていただきました。
富子さん:「自分たちで出来て良かったです」
和雄さん:「娘がネットで見て心配してね……。誰の骨かわからないなんてところもあるというし」
権守:「お客様に信頼していただきたいですが、問題な業者もいるようですね」
和雄さん:「自分たちで持ってきて、粉骨にしたんだから間違いない」
権守:「当社ではだいたい半分のご家族が立ち会い粉骨をされています。おすすめもしていますが、みなさん、何よりご自身で遺灰を袋に詰められて、立ち会って良かったと言われますね」
富子さん:「本当にそう思います。自分たちでして良かった」

89歳のお誕生日に東京湾でお別れを

10月10日、芳枝さんの89歳のお誕生日の日に散骨をすることに。
出航は15:30。日の入り時刻の90分前です。家族、親族、友人の大人15
名、子供6名の総勢21名を乗せたレノン号は秋晴れの東京湾沖に向かいました。
メモリアルコーナーには、母の誕生日のために心を込めて作った、富子さん手作りのお弁当が供えられました。お赤飯に大根などの煮物、それに葛餅とすだちのジュース。芳枝さんの好物ばかり。お花で飾られた遺影の芳枝さんも嬉しそうに微笑んでいます。
富子さん:「出来たら、母も一緒に乗って、お祝いしてあげたかったけど……」
夕陽で海が染まる頃、一人ずつに遺灰の包みが手渡されて……。
子どもに孫、ひ孫や親しい友人に見守られて、芳枝さんは旅立ちます。それぞれに芳枝さんへの祈りを書いた「おくり鳩」も海へ手向けます。
富子さん:「あの時ね、不思議なんですけど……、私のだけがなかなか海に沈まずに、浮かんでいたんです。感動しましたね……。『お母さん、逝っちゃうの?』って」
レノン号は三周周り、汽笛を鳴らしながら、ゆっくりとその場を去りました。
羽田空港から飛び立つ飛行機を眺めながら、芳枝さんにお別れをしました。

 

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持ち込みのお料理での船内会食

信川さんがこだわったのはお食事です。船にはキッチンも備え、当社でもお食事の手配をさせていただいておりますが、お好きなお料理をお持ち込みいただくことも可能です。
和雄さん:「やっぱり、せっかくならみんなで美味しいものを食べたいじゃない。
私の馴染みのイタリアンレストランで、奮発したお弁当を作ってもらいました。他の会社は持ち込みはダメだって言ってたよ」
権守:「うちでもお食事の提供はさせていただいていますが、もしもお客様で思い出のお食事を召し上がりたいご希望があれば、持ち込み料などはいただかずに、お受けしております」
和雄さん:「本当にとらないのね。びっくりしたよ。でも持ち込み料取らなくて、経営的には大丈夫なの?」
権守:「それは正直、うちで頼んでいただいた方がビジネス的には嬉しいですが……(笑)。せっかくなら、思い出の味や大好きだったものを食べていただいて、思い出を作っていただこうと。一度きりの散骨ですから」
富子さん「デザートブッフェはお願いしたのよね。きれいで華やいだわね」
芳枝さんには富子さん手作りのお弁当で、家族一同が集まっておいしいイタリアンのお弁当で芳枝さんのお誕生日を祝いました。音楽は芳枝さんが大好きだった氷川きよしの歌を聞き、思い出のビデオを見ながら、芳枝さんの思い出を語り合いました。
富子さん:「涙あり、笑いあり。夕焼けも夜景も綺麗で楽しかったわよね」
和雄さん:「みんなに良かったよって、話すんですよ。孫を膝に乗せてね。かっぱえびせんを持って、カモメにあげてさ。あれが良かったよなー」
富子さん:「ただ撒いたのではなくて、『あんなこと、こんなことがあったね』っていうことが後でいっぱいあって。そういうのって、大事ですね」
権守:「みなさんに、自由に使ってくださいって言っているんです。ご希望があれば仰っていただいて。思い出をつくっていただければと」
和雄さん:「吞兵衛の人は喜ぶよね。船から飛行機を見て、夜景を眺めながら酒を飲めて最高だよね」

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幼い孫も手元供養に手を合わせて

信川さんは手元供養を写真盾やリップ式のものなど6点作られました。
富子さん:「最初は二つくらいと考えていたんですけど。母が大好きだった桔梗の柄のミニ骨壺をお願いして、仏壇に置いて毎日拝んでいます。遠くに行くときはリップ式のをお守り代わりに持って行きます」
和雄さん:「私も事務所に置いています。今はハロウィンの時期だから、カボチャの帽子をのっけてましてね」
富子さん:「あら、兄さんも。うちもよ。」
富子さんが息子さんの家に行ったところ、二歳のお孫さんが手元供養に手を合わせて拝んでいたといいます。
富子さん:「驚きましたね。こうやって子供って感じて、いろいろなことを体験していくんですね」
きっとお孫さんにとって、曾祖母の死は初めての身内の死だったのかもしれません。親戚が集まった散骨の場で、幼いながらも何かを感じたのでしょう。
芳枝さんの親友で、お墓参りに行けなくなるのは寂しいと反対した方にも散骨に立ち会っていただき、手元供養を持っていただくことにしました。毎日、拝んでいるそうです。
富子さん:「手元供養がお墓の代わりになるんですよね。作って良かった」

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メモリアルクルーズで三回忌を

今年の9月、お彼岸の頃、お二人で一周忌のメモリアルクルーズに乗船されま
した。乗船されるのは、散骨されたご家族。想いを共有しともに故人の方を偲びました。
和雄さん:「倅がね、『おばあちゃん、良かったね。親父も散骨だよね』って言うんですよ。私が買ったお墓は結局、誰も入らなくなるかな……」
富子さん:「私は夫を亡くしていて、千葉にお墓はあるんですが、私が死んだら、分骨してお墓と海洋散骨と両方にできますか?」
権守:「大丈夫ですよ。そういう方は多いですよ。当社の代表の母親もそうしていますし」
来年には、芳枝さんの三回忌をチャータークルーズでされる予定です。
和雄さん:「みんなお寺でないと、供養ができないと思っているんですよね。みんなで船に乗って、おいしいものを食べながら、思い出を語りあって、楽しみだよ。いいよね、こういうやり方も」
富子さん:「ずっと最初から、権守さんに担当していただけて、本当に良かったです」
権守:「こちらこそ。担当させていただきまして、ありがとうございました。
また是非、メモリアルクルーズでもお待ちしております。本日はお話をお伺いさせていただき、ありがとうございました」

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家族それぞれの想いを尊重して

お墓でないと安心して眠れないと思う人、お墓には入りたくない人。ひとつの家族でも思いはいろいろです。日本人が家族で一つのお墓に入るようになったのは、明治時代から。それほど長い歴史ではありません。
家族それぞれの想いを尊重して、家族の関係や、子供や孫の将来のことも考えて、新しい時代の葬送や先祖供養を考えていく時がきているのかもしれません。

権守一城
当日の日の入り時刻を調べ、最高の夕焼けのタイミングでの散骨になるよう計算して出航時間を提案させていただきました。
私達の強みの一つにオーダーメイドスタイルの散骨の経験の豊富さがあります。
100人いれば100通りの方法があるので、立会粉骨の際に行う打ち合わせをとても大切にしています。
どんな要望でもおっしゃっていただければと思います。

権守一城

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