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遺族様インタビュー

お客様よりいただいたインタビューのご紹介です。

2018/12/28 義岡様

悲しいけど、笑顔で送ってあげたいから 「行っていらっしゃい! またきっと会おうね」

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10月に行われた第9回海洋散骨アドバイザー検定で、ご自身の散骨体験をお話しいただいた善岡梨沙さんとお母さまの善岡清美さん。梨沙さんは現在ロースクールで学ばれている大学院生です。昨年7月に清美さんのお母様、善岡喜代子さんを亡くされました。8月に当社で海洋散骨をされ、「もっと海洋散骨を人に知ってもらい、広めていきたい」と、その体験を講義の中でお話しいただきました。
お二人とも明るくて、姉妹のように仲がよい素敵な親子です。故人の喜代子さんも明るく、優しくて誰からも愛された方でした。大好きだったから、本人らしく明るく見送りたいと海洋散骨をされたお二人にさらにお話を伺いました。

みんなに愛された幸せな人生の最期

83歳で亡くなられた故人の喜代子さまはこの10年は肝臓癌と闘病されていました。とっても明るく、活動的でおしゃれな女性で、海外旅行を楽しみ、闘病中でも感謝を忘れずに、その笑顔が人を幸せにする方でした。
昨年の3月に倒れて再入院。でも6月には一時快方に向かい、周囲を驚かせました。
「私だって、一度行ってみたいわ」
と、外出許可をもらって、梨沙さん行きつけの表参道の美容室に。そして帰りは大好物の鰻を食べて、久しぶりの孫とのデートを楽しみました。
しかし、それから一か月、容態が悪化して、ついにお別れの日がやってきました。危篤の連絡を受け、家族、親族一同が病室に集まりました。
梨沙さん:「おばあちゃんに前から言われていたんです。『私が逝くときはみんなで手をつないで見送ってちょうだいね』って。だからみんなで手をつないで、おばあちゃんを囲んで……」
清美さん:「母は本当に明るく、笑顔で人を幸せにする人でした」
梨沙さん:「おばあちゃんらしく明るく送ってあげたいと思ったんです。悲しい送り方をしたくなかった」

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何も決めずに、自然のながれで

清美さん親子は喜代子さんと一緒に暮らしていました。ご本人の喜代子さんは「お墓はいらないから、海に撒いて」と語ったこともありましたが、あえて希望を確認したりはしなかったそうです。闘病中でも最期の見送り方を、家族で決めておくことはしなかったといいます。
梨沙さん:「悪いものを呼んでしまいそうな気がしたんです」
清美さん:「だから、何も前もって決めないで、ながれに従おうって」
大切な家族だからこそ、最期の別れには触れたくないものなのかもしれません。

葬儀の時の海洋散骨のパンフレットとの出会い

喜代子さんのお葬式は、都内の斎場で、本人らしく明るい雰囲気で行われました。生前からの本人の希望で、無宗教の式で。
梨沙さん「おばあちゃんのお化粧も私がしました。祭壇もお願いして明るい色の花にしてもらいました」
葬儀の時も、まだお墓のことは考えていなかったそうです。
梨沙さん:「従兄が『コレ、おばあちゃん、きっと喜ぶぞ!』って、海洋散骨のパンフを見つけてきて」
清美さん:「そうそう。それと手元供養のダイヤモンドのパンフもね」
権守:「どちらも当社が用意したパンフでして。ご縁をいただき、ありがとうございました。」
清美さん:「見た瞬間にコレだって思ったの。本当に、不思議ですよね。母がきっとご縁をつないでくれたのね」
梨沙さん:「何も決めないで、ながれにまかせて本当に良かったと思いました」

 

海洋散骨業者を決めるポイントは?

海洋散骨にしたいと決めてから、お二人は「海洋散骨」について、いろいろと調べてみました。
清美:「職業柄、リサーチは得意なんです」
清美さんは、当時、証券会社で働くキャリアウーマン。忙しい仕事の合間をぬって、海洋散骨業者のHPを調べ、電話をかけ、各社の違いを検討されました。
清美さん:「だって不安じゃないですか? 散骨したら遺骨が無くなってしまうんですよ。 遺骨がなくても、供養ができるものなのかしらって……」
業者に問いかけた質問を聞いてみました
「具体的に散骨はどのように行うのか?」
「どのスポットで?」
「海洋散骨は違法ではないのか?」
「今まではどういう方が散骨されたのか?」
HPに書いてあることでも、やはり直接に聞いて、確認したかったと言います。
ブルーオーシャンセレモニーを選んだ理由は?
なぜ、ブルーオーシャンセレモニーを選んだのか? その理由を尋ねると、
清美さん:「やはりHPがしっかり出来ていますよね。それに電話にでた権守さんが、質問に対してきちんと誠実に答えてくれたから」
権守:「ありがとうございます。それだけいろいろと調べて、検討したうえで、当社に決めていただけたなんて、嬉しいです」
他社もいろいろと検討されたうえで、きっかけとなったパンフレットの当社に決めてくださいました。
梨沙さん:「たぶん、葬儀からの引き寄せの流れみたいなものを感じて、それを自分で確認したかったんだと思います。 納得して決めたかったから」

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多忙な中でメールと電話での子細な打ち合わせ

当社での海洋散骨を申し込みされてから、スタッフとの打ち合わせが始まりました。しかし、清美さんはお仕事で忙しく、梨沙さんはロースクールの試験に向けて受験勉強中。お二人が相談できるのは、夜遅くに清美さんが帰宅してから。
二人の意見をまとめて、スタッフに連絡をとるのはメールか電話でした。
梨沙さん:「葬儀も私が考えたような式で送りました。だから散骨式も大好きだったおばあちゃんらしく送ってあげたくて、いろいろとご無理を言ったんですよ」
清美さん「お花もみんな娘が決めて、明るい色にしたいと。メモリアルコーナーに飾る写真や思いでの品もみんな娘が考えました」
権守:「善岡さまは特にこういうふうにしたいという思いがはっきりされていましたね。(と、パソコンの記録を覗き込む)『ガーベラは花芯が黒いものはダメ』『寒色系の花はダメ』とか記録にありますね」
梨沙さん「ガーベラでも黒い花芯のものだときつく見えるので。お花もこうしたいという私の希望に応えてくれました」
権守:「花は私が仕入れに行きました。お客様の特別なご要望があれば、それに
応えるべく、社長の村田と私で仕入れに行きます」
清美さん:「えっー、そんなことまでしてくださったの? 本当に、こちらの希望通りのきれいなお花を用意してくださって、ありがとうございました」
パソコンには善岡さんのご希望や相談や質問の内容がまとめて記録されています。社の中で、スタッフ全員が顧客の希望や打ち合わせの経過を共有できるシステム作りを心がけています。
権守:「当社のだれが電話をうけても、答えられるように連絡事項を共有しています。全員、携帯は持っていますが、一端、東京湾に出てしまうと電波がつながらないこともありますから」
清美さんは海外との取引の仕事で、毎晩夜遅くまで働かれていました。9時頃に少しだけ電話ができる時間がやっととれるので、その時間帯に打ち合わせの電話をかけてくださったそうです。
権守:「夜9時の電話は、善岡さんだと……。(笑)それだけ忙しいのに、少しでも時間を作って、電話してくださるんだと有難かったですよ」
清美さん:「メールだけでなく、やはり電話で直接お話をして、安心できたと思いますね」
何度もメールや電話だけで相談をされたお二人が、初めて来店されたのは粉骨にいらしたときでした。
権守:「実は私は打ち合わせだけで、当日の担当はうちの中島だったんですけど、いっぱい話をさせていただいたから、会いたくなっちゃって。『同席させてくださいと』と。やっと、善岡さんにお会いできたと思いましたよ(笑)」
清美:「本当に。でもそれまでいっぱい相談させてもらったから、初めてお会いした気がしなかったわ(笑)」

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是非、人にも薦めたい散骨への準備

遺骨の粉骨に立ち会うために、お二人は来店されました。
清美さん:「粉骨は立ち会って良かった。あれは是非、立ち会うといいですね」
梨沙さん:「自分たちで白い粉になった遺灰を水溶性の白い袋に、立ち会う人数分に分けていれたんです。自分たちで見届けたって気持ちになりました」
清美さん:「何か神聖な気持ちになりました。きっと本人にも、また家族にとっても良かったと思います。自分でやったていうのがね、本当に良かった」
権守:「そうですね。ですからできるだけ、立ち会いをおすすめしています。だいたい半分くらいの方が粉骨に立ち会われていますね。みなさん、立ち会って良かったと言ってくださいます」
大好きなおばあちゃんに、「行っていらっしゃい!」
いよいよ8月の海洋散骨の日になりました。夕日が綺麗なサンセットクルー ズのチャータープランを希望され、家族や親族、友人で定員いっぱいのレノン号 は3時に出航しました。その日の日の入りの時間に合わせて、出航時間を決めて います。10月のその日は、日の入りが4時半くらいでした。
清美さん:「みなさんに『オシャレして来てくださいね』ってお伝えしたんです」
梨沙さん:「おばあちゃんは本当にオシャレなのが好きでしたから」
清美さん:「喪に服すっていう感じではなく、海洋散骨でお祝いのように、母を送ってあげたかったんです」
船内には梨沙さんが希望した通りの花が飾られていました。ガーベラを中心として、明るい色合いのお花が。献花には白とピンクのガーベラが用意されました。
梨沙さん:「ガーベラの花言葉が白は『希望』で、ピンクは『感謝』なんです。私が思い描いていたイメージぴったりでした」
メモリアルコーナーには梨沙さんが選んだ思い出の写真や喜代子さんが描いた油絵が飾られました。音楽はコブクロ。当日に立ち会えなかった梨沙さんの友人が、可愛がってくれた喜代子さんのために選んでくれた曲を流しました。
美しい夕暮れを眺めながら、みんなで白い紙に包まれた遺灰を海に放ちました。大好きだったお花もいっしょに。
梨沙さん:「おばあちゃんに『行っていらっしゃい!』って。『また会おうね』って」
清美さん:「感動的でしたね。海に還っていくんだなって」
羽田空港に発着する飛行機を眺めながら、旅好きだった喜代子さんに相応しい場と思ったそうです。そして船は三周旋回した後、汽笛を鳴らしながら、ゆっくりとその場を後にしました。
食事は喜代子さんが大好きだった鰻が入った和食のお弁当をみんなで食べながら、想い出を語り合いました。
デザートブッフェは夜景を見ながら、二階のデッキで星空を見上げながら。潮風がそよぎ、屋形船がとても綺麗でした。
故人を明るく、お祝いにして送りたいという希望のかたちの散骨になりました。
梨沙さん:「みんなが楽しかったって、喜んでくれました」
清美さん:「本当に楽しかったよね。 やっぱり来てくれた人も「楽しい!」と言ってくれるのが一番ですよね」
梨沙さん:「担当の中島さんが、私と同世代なんです。女性だし、何かと話しやすく、いろいろ気を遣ってくれて、心強かったです」
清美さん:「実はね、会社の同僚の男性が『是非、乗せてくれ』と言って、参加
したんですよ。お父様が海洋の仕事をされた方で『海に流してくれ』と言っているんですって。だから海洋散骨を一度見ておきたいと。感激していました」
世界でたった一つのダイヤモンドを想い出に
散骨の後に心のより所となるものをと、メモリアルダイヤモンドのネックレスと指輪。写真盾タイプのものなどいくつかの手元供養のものをご注文されました。
粉骨の際に、ダイヤモンドの会社の担当者が遺灰を直接に受け取りにきます。
清美さん:「やっぱりね、これがあるから寂しくないの。いつも一緒だから。手元供養はぜったいに残したほうが良いと思いますね」
梨沙さん:「葬儀のときに、海洋散骨と手元供養のダイヤモンドをパンフで知って。これって、やっぱり自然なながれで、おばあちゃんが教えてくれたのかなって」
お二人に遺灰で作ったダイヤモンドを見せていただきました。水色に輝くダイヤモンドでした。スイスの会社で作成し、10か月後に届けられます。遺骨に含まれる成分は人によって個人差があるので、出来てみないとわかりません。
梨沙さん:「どんな色になるんだろうねって……待っていました」
清美さん:「出来るまで10か月かかるので、ちょうど一周忌のときに届きました」
権守:「メモリアルクルーズに乗船いただいたときに、拝見させていただいたんですよね」
清美さん「そうそう、権守さんと再会したのよね、メモリアルクルーズで」
梨沙さん「写真盾の横につけるロケットもお守りにしています。これをロースクールの受験日に持っていったら、合格したんです。母と二人でライヴに行くときも持っていくんですよ。おばあちゃんも一緒だよって」

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東京の空から見守ってくれている

明るく送り出してあげたいという希望が叶い、予想以上だったと語ってくれました。でも海洋散骨したら、祈る場所が無くなるのではと不安に思う人も多くいらっしゃいます。
梨沙さん:「よく祈る場所が必要といいますけど、場所って特別に用意しなくてもいいと思うんです。東京湾に撒くことで、いつも東京の空から見守ってくれていると感じています」
清美さん:「亡くなった人を忘れずにいてあげれば、それが祈りになりますよね」
梨沙さん:「自分の希望をみんな伝えて、一つ一つ相談しながら出来たので、納得がいく送り方ができました」
清美さん:「海洋散骨にしてよかった。不安に思われる方もいるけど、もっと広まってほしいですね」
権守:「実は私たちからしたら、善岡さんのようにご希望がはっきりされている方は有難いお客様なんですよ。ご希望がわかれば、それにお応えできますし」
清美さん:「私たち、かなりご無理をいいましたよね? (笑)」
権守:「善岡さんは感想だけでなく、アドバイスもくださって、とても参考になります。なかなか信頼がないと言ってもらえないですから」
清美さん:「意見を聞いてくださって、一緒にセレモニーをしていただけたと思いました」
梨沙さん:「私、今通っているロースクールがレノン号の出航するところの近く
なんです。通りながら、不思議なご縁を感じています」
権守:「私たちは、『心に残る思い出』を作ってもらいたいと考えて仕事をさせて頂いています。『楽しかった』って言われると嬉しいです。また是非遊びにいらしてください。今日は本当にありがとうございました」

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人と人をつなぐ葬送の出会い

よく終活で聞くのが、「家族には面倒をかけたくない」という言葉です。
たしかに大きな負担を家族に残したくないと考える気持ちも理解できます。
しかし、善岡さんのように愛する家族を看取り、送ることをこんなに一生懸命に考えて、しかも楽しくできるなんて、素敵だなと心から思いました。
人間の死亡率は100%なのに。なぜか「死」は「穢れ」のように思われてきました。生物の中で「弔う」ことをするのは唯一人間だけです。
誰にも迷惑をかけたくないといっても、死後は自分では何もできません。でも家族やご縁のあった人に看取られ、送られることで、また新しい人との出会いが生まれます。
家族だけではありません。最期を看取ってくれた医師や看護師、葬儀、埋葬や散骨といった「葬送」を通して、「死」によって人はまた出会い、つながっていきます。
悲しい別れの「死」を受け入れ、弔うことで人はたくさんの気づきをもらっているのだなと思いました。
最期の旅立ちに、人にたくさんの感動を送れるなんて、人間って素敵ですね!AIにこんなことが出来るでしょうか? こうして人は別れの悲しみを乗り越え、生きる力をもらってきたのだと思いました。
喜代子さんの遺言は「私が死んだら、毎月、ホームパーティーをやってね」。
善岡さんはその約束を今も守っているそうです。
今月のお客様は、喜代子さんの担当医だったドクターと一番仲が良かったナースの方だとか。きっと楽しい素敵なパーティーになることでしょう。

権守一城
電話でのやりとりだからこそ、安心してもらえるように、希望が叶えられるように、と心掛けてお手伝いさせていただきました。
散骨を終えた後もメモリアルクルーズや、海洋散骨アドバイザー検定でもご協力いただいており、お客様と再会させて頂くことへの有難さを教えてくださった方です。
散骨自体は一度きりですが、その後もずっと繋がっていく関係をこれからも大切にしたいと思います。

権守一城

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