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遺族様インタビュー

お客様よりいただいたインタビューのご紹介です。

2019/05/26 S.H様

亡き妻を祖国につながる思い出の海に還して

妻の願いを叶えるために
2019年2月に亡くなった奥様を、5月に新潟で日本海に散骨されたS.Hさんにお話しを伺いました。
インタビューでお話を伺う前に、6月に行われた「認定海洋散骨アドバイザー」の講習会場で、海洋散骨を行った経緯や感想、当時の心境を語っていただきました。

S.Hさんは、4カ月前に奥様を亡くされたばかり。妻の願いの散骨をして、やっと少し気持ちが落ち着いたとは言うものの、人前で話すことで悲しみがまた込み上げて話せなくなるのではないかと、心配されていました。もしも感極まって話せなくなったら、妻との思い出の歌を歌おうと、妻が大事にしていたウクレレを肩にさげて会場に現れたSさん。その気持ちが会場の参加者の胸にも響く、貴重な時間となりました。
なぜ海洋散骨なのか? 真の意味でそれを伝えられるのは大切な人を海に送った遺族の方なのだと感じました。

幸せな出会いと闘病の日々
S.Hさんが奥様となるS.Nさんに初めて会ったのは2011年のこと東日本大震災の後です。こんなに趣味や考えが合う人との出会いは奇跡だと互いに感じたそうです。二人とも離婚を経験しており、S.Nさんは韓国の方で二人の子どももいました。離婚後に韓国に帰国することも考えましたが、子どもを残して日本を離れることには躊躇いがありました。
二人は10カ月の交際と経て、ソウルに住むNさんの母からの勧めもあり、2012年4月に結婚をしました。
しかし、結婚を決断した直後に、乳がんが発覚。5月に挙式を挙げ、7月に手術。放射線や抗がん剤の治療にあたりました。翌年の2013年は安定した日々でしたが、翌年の2014年の12月に骨やリンパ、肺に転移が見つかり、その後は延命治療を受けることになりました。
日本に20年以上住みながらも韓国人としてのアイデンティティーを支えにしてきたNさんでしたが、治らない病気と知って、日本で生涯を全うする覚悟で、日本に帰化することを決意しました。
そして、自分が亡くなったら、韓国と日本の間にある日本海に散骨をして欲しいとSさんに頼みました。
短い結婚生活は闘病の日々に。Nさんは訪問看護師に「夫は自分と結婚して、果たして良かったのだろうか?」と心の内を打ち明けたそうです。そして自分亡き後のHさんのことを心配していたといいます。
2019年2月16日、S.Nさん逝去。最愛の夫、Sさんに見守られて安らかに永眠しました。享年51歳。惜しまれながら、早すぎる人生に幕を閉じました。

妻の願いの散骨をどうするか?
ご夫婦ともにキリスト教を信仰しているので、韓国の家族も来て、キリスト教式の葬儀をしました。
妻の願いの日本海での散骨を叶えようと、ネットで検索すると若狭湾に委託散骨が出来る会社が見つかりました。
しかし、葬儀の司式者の牧師の方のひと言がS.Hさんの心に響きました。
「委託はさみしいですね」
その言葉に、急に寂しい気持ちなってしまったそうです。
大切な方を亡くされた遺族の方にとって、悲しい気持ちをこらえてでも務め、しなければならないのが葬儀です。Nさんのために、悔いのない送り方をされたいと思われたそうです。
そして、当社に次のようなメールを頂きました。

『最初の相談:2月26日
2月16日に51歳で妻が死去しました。
日本海に散骨してほしいという遺言です。
新潟は二人で2度旅行した場所で、私が学生時代を過ごした場所でもあります。
相談に乗っていただけると幸いです。』

こうして、当社で新潟でのご遺族立ち会いの散骨が決まりました。
ブルーオーシャンカフェでは毎月第3水曜日の10時から「わかちあいの会」を開催しています。大切な方を亡くした方同志で語り合い、わかちあっていただき「こころを軽く」していただくための会です。
亡き妻の遺骨を粉骨のために持参にしたS.Hさんは、その日に3月の「わかちあいの会」に参加しました。
長い闘病生活を送り覚悟の別れではありましたが、深い悲しみ、喪失感に苦しまれていました。当日の参加者は4名。同じ悲しみにいる方ばかりです。
「本当に偶然だったんですよね。この会に参加できたのも。たまたま春休みで大学の授業が無かったから行くことが出来ました」
人生はそうした不思議な偶然に導かれているものなのかもしれません。
日本海では委託散骨しか方法がないと諦めていたSさんが、牧師のひと言で自分の心の迷いに気づき、探してみたら当社の手配で新潟での立ち会い散骨が可能になったこと。遺骨を届けるために訪問したカフェで「わかちあいの会」に参加されることになったことも、一つの偶然がさらに扉を開いて、進む道を照らしてくれました。

心に残る召天50日記念会
4月にブルーオーシャンカフェにて、召天50日記念会をしました。ご夫婦ともにキリスト教プロテスタントの信仰者です。これは仏式の四十九日法要にあたり、故人の冥福を祈り、親しい人々と一緒に故人を偲びます。
Nさんを偲んで、生前親しくしていた仲間やSさんの教え子が20人ほど集まってくれました。中には遠路はるばる来られた方もいました。この会のプログラムはすべて夫のSさんのアイデアです。
牧師の司式で、全員で祈りを捧げました。
韓国の有名な讃美歌「君は愛されるために生まれた」を全員で歌いました。葬儀の時にも歌った美しい讃美歌です。
粉骨をする別室にも参加者が来て、Nさんにお別れをしました。
会場にはNさんが愛用した楽器や写真などを飾り、会食中は想い出のDVDを上映しました。
大学教員のSさんの教え子たちや、夫婦で一緒に音楽活動していた地域ボランティアの仲間とのミニライブをして、天国のNさんに歌声を届けました。
Sさんも自らピアノやギター、三線も演奏しました。Nさんとの思い出は大好きな音楽とともにありました。一緒に作った「夕暮れ」という曲も歌いました。
「練習なんてできなくて、みんなぶっつけ本番だったんですけどね。音楽としても良いコンサートになりました」
当日は当社の赤堀が担当させていただきましたが、Sさんを囲む参加者との関係が素敵で印象に残る会だったと言います。最愛の妻に先立たれ深い悲しみにいるSさんが、教え子や親しい仲間と音楽に浸るひとときで、笑顔を取り戻せたと聞きました。Nさんの二人の息子さんも参加しました。
結婚以来、闘病の日々を送ったNさんでしたが、Sさんの仲間や教え子からも慕われる方でした。

  

祖国へつながる日本海の海へ
5月になり、妻の願いを叶えるために、新潟で日本海に散骨しました。
新潟は夫婦で二度旅行をした想い出の地でもあり、Sさんが学生時代をすごした場所でもあります。
満席のため増便された合同散骨の船にNさんの息子さんたちも一緒に乗りました。当社の桑原が同行いたしました。
Sさん:「この日は奇跡のように静かな海でしたよね。日本海があんなに静かなのは珍しいんですってね」
桑原:「本当にあれほど、静かな日本海はめったにないですね。雨や強風で欠航になることもありますから。東京湾でもあれほど揺れないのは珍しいです」
Sさん:「本当に最高の日でしたよね。あの日で良かった。いよいよ散骨と言う時、船が停泊したら波がさーっと静かになってね。あれは不思議でしたね」
Nさんの遺灰が青い日本海に還っていくのを静かに見届けました。
Nさんの祖国、韓国にも海はつながっています。Nさんの願いを叶えることができました。

妻にすべて叶えてあげたいことが出来ました!
Sさん:「有難いことに、すべてと言っていいほど、彼女にしてあげたいことが出来ました。Nが望んだことをみんな叶えてあげられて本当に良かったと思います」
散骨したあと新潟の展望台のあるビルに行き、食事をされたそうです。そこからは、船が出航した萬代橋が見えました。
信濃川にかかる萬代橋は重要文化財に認定されており、美と風格を併せ持つ新潟の百景のひとつとして親しまれています。
桑原:「萬代橋から出航して、運河を出て散骨をされたのでしたね」
Sさん:「そう、Nを散骨した辺りまで、展望台からだとそのルートが眺められるんですよ。Nに会いたくなったら、ここに来れば良いんだ。お墓参りはここに来ればいいんだと思いました」

これから妻の分も生きていきます
最愛の妻を失った喪失感で、また父親も危篤の状態が続きしばらく身体中に不調を感じ、このままだと自分は死んでしまうのではないかと思われたそうです。Sさんの悲しみを周囲も、また誰よりもNさんが一番心配していたといいます。
Sさん「今でも、なんで自分だけが生きているのかと、時々、罪悪感に悩まされることがあるんです。でも、周りの人が妻は幸せだったと言ってくれて、その言葉に救われています」
散骨の前、4月末に朝方、不思議なことに金色と黄色の布を纏ったNさんが夢に現れたそうです。その布は仏教の寺にあるものに似ていました。
Sさん「私達夫婦はキリスト教徒なのに、本当に不思議なんですが……。きっと妻が私に無事に輪廻の世界に入ったと伝えに来たのかもしれませんね。これって、もしかしたら、ユングの集合的無意識といったものかな?」
桑原:「わかります。そういう体験はよく聞きますね。僕は学生の頃、哲学や心理学を勉強していたんですが、ユングの言う通り、東西を問わず、人類の中で脈々と受け継がれてきた記憶ってあると思いますね」
Sさん:「考えてみると、委託散骨しかできないと諦めていたのが、50日記念式も出来て、自分の手で撒いてあげられて、またこうして桑原さんと再会してユングの話をしているって、すべてが不思議ですよね!」
桑原:「本当に人生は不思議でいっぱいですね」
Sさん「自分もそうだけど、来てくれた人もみんな散骨って初めてだったんですよ。みんな良かったって言ってくれました。本当に良かったと思います」
桑原:「ありがとうございます。そう言っていただけますと、やりがいを感じます。僕も50日記念式会の方もお手伝いしたかったな。またカフェにもいらしてくださいね」
大切な人の死は、誰にとっても身をちぎられるほど辛いことです。故人の方と悔いのないお別れをすることで、残された方がこれからの人生を前を向いて踏み出せるのかもしれません。
日本在住の外国人の方で、Nさんのように、故郷につながる海に散骨してほしいと希望する方は、年々増えています。日本を居住の地と選びながらも、やはり望郷の念は捨てがたいのでしょう。
Nさんも、Sさんが悲しみを乗り越えて、これからの人生を生きていくことを願っていることと思います。亡くなられた方はご自分の死をもって、なにかを伝えてくれているような気がしてなりません。

お二人で作られたという「夕暮れ」の歌が、幸せとは何かを私達にも語りかけてくれるように思います。

≪夕暮れ≫

夕暮れの散歩 おだやかで
心地よく あのねって いろんな
話して そう たわいもない
話で 笑って今日は
幸せなひととき 感じるのは
無邪気に自分 さらけ出す
あなたの笑顔 見つめたとき
これで良かったと ほっと胸なでおろす
明日もいい日でねと

(伴奏)

今日の幸せ 届けてくれた
あなた 神様の贈り物かも
かもと ふっと空を見上げ
ありがとうと言った
それぞれの思い出 抱きしめて
ありのままの 今をずっと
二つの心に きざんでいこう
これで良かったと 二人笑って話せる
明日もいい日でねと

赤堀 恵美(担当写真) / 桑原 侑希
私がお手伝いさせて頂いたのはカフェでのお別れ会と立会粉骨でした。
カフェでどのようなお別れ会にしたいのか、立会粉骨の流れについて何度かメールでやり取りをしていましたが、一度カフェにご来店頂き顔を見て打合せ出来た事がとても嬉しかったです。ご来店された際に海洋散骨をすると言う強い思いと故人様とのお別れが辛いお気持ちの両方が伝わってきたので後悔なくお別れができる時間を過ごしてもらえるよう心掛けました。お別れ会当日は参加者の方も含め皆様笑顔で過ごされていたので私も元気をわけて頂きました。
散骨日は乗船することはできませんでしたが、それでも後日どんな散骨式だったのかをお聞きし、無事に終わったとのことで安心しました。(赤堀)

新潟でのご乗船にご一緒させて頂きましたが、ご家族だけでなくご友人方も遠方よりご同乗されていたので、生前の故人様がどれだけ慕われていたのかが改めてうかがい知れました。
お別れ会での皆様の笑顔が印象的でしたが、散骨の際は時折涙をみせながら心静かに過ごされており、皆様一人一人が故人とのお別れをかみしめていらっしゃるお姿を拝見し、ご要望を叶えるお手伝いが出来たようでホッと致しました。後日のインタビューでも興味深いお話が沢山出来て良かったです。(桑原)

赤堀 恵美(担当写真) / 桑原 侑希

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