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遺族様インタビュー

お客様よりいただいたインタビューのご紹介です。

2019/02/05 T.S様

やっと叶えられた東日本大震災の年に亡くなった父の願い

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新人に託された信頼に応えて

2018年6月、飛び込みで来店されたお客様がいます。あいにくスタッフが出払っており、当社の新人の羽田瑠夏が対応させていただきました。

入社二か月目の羽田が一人で、来店されたお客様の対応するのは緊張しましたが、忘れられないお客様との出会いになったと、振り返ります。

昼休みにソフトクリームをほおばっていた羽田に社からすぐに事務所に戻るように呼び出しの連絡がはいりました。急いで社戻り、接客することに。そこでお会いしたのがSさんでした。

海洋散骨について知りたいと、ネット検索で当社を知り、訪ねられたのです。

Sさん:「ごめんなさい、突撃訪問でびっくりさせて」

羽田:「いいえ。ただ実は私は当時まだ入社して2か月目でしたから、正直緊張でいっぱいでした」

Sさん:「あの時、たくさんお話ししたのよね」

羽田「そうでしたね。1時間くらいお話しを聞かせていただきました。私が担当を任されるようになったのは、7月からで。Sさんにお会いしたのはその前なんです。だからSさんはほとんど初めてのお客様でした」

Sさん:「マニュアル的な接客でなく、新人一年生であるがゆえの一生懸命さに、親心をくすぐられちゃったかな」

まだ申し込みではなく、海洋散骨についての情報を知りたい段階であったので、いきなり訪問されたとのこと。

Sさん:「もしアポを入れたら、やはり準備をして待っていてくださるでしょう。それに抵抗があったのね。私自身の気持ちの準備もできていなかったので。だから突然に……。もし行ってみて、説明できる方にお会いできなくても、それは飛び込む自分が悪いのだから出直せばいいと思って……」

羽田「たまたまとはいえ、私にとってはご縁をいただけて、感謝です」

Sさん:「惚れちゃったのよ、あなたに」

 

7年の時を経て、父の願いを

Sさんは2011年の1月にお父様を亡くされ、時間を経て生前の故人の希望を叶えるために相談に見えたのでした。

生前、お父様から「自分が死んだら、妻と一緒の共同墓地に埋葬し、あとは海に撒いてくれ」と託されていたのですが、それからまもなくあの未曽有の大災害、東日本大震災が日本列島を襲いました。お父様は秋田の出身。幸い親戚は無事でしたが、

「こんな時に海に撒けというの……?」

とても父の遺灰を海に散骨する気持ちにはなれず、世間も海も穏やかになるのを待つことにしたのです。

その後、義母が心臓を患い、5年間の介護が続きました。一昨年、その義母を見送り、一周忌も終えてやっと、父のことをする時がきたと思ったといいます。

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嫁ぎ先には持っていくわけにはいかない実家の仏壇と遺骨

ご両親の一人娘であるSさんです。父の遺骨の半分は亡き母と同じ墓地に納骨しました。両親が一人娘の負担にならないように、自ら選んだ共同墓地です。30年経つと共同の塚に合葬されます。

父は分骨して、「海に撒いてほしい」と言い残しました。実家にある両親の位牌と父の遺骨。嫁ぎ先に持っていくのは憚られました。実家の家を震災の被災者に住んでもらうことも考えましたが、結局、手離すことになりました。両親の葬儀は本人の意向により無宗教で送ったので、遺骨と仏壇を一時的に預かってもらえる会社のサービスに助けられたといいます。

 

人柄で葬儀社を選んだ父のように

自身も病と闘いながら、妻を自宅で介護し、看取ったお父様は、妻の葬儀に際しても、自分の脚で葬儀社を何軒も訪ね歩き、信頼できる葬儀社と出会いました。

Sさん:「その方の人柄に惚れたというんです。父の時もその方にお願いしました。信頼できる方にお願いしたいという父の気持ちが今はよくわかります。

散骨も大切なことで、大きな決心がいることですから……」

 

自分で静かに散骨できないかとも考えてはみたけれど

父の願いを叶えてあげたい。出来れば、娘の手で静かにひっそりと……。

TVで海洋散骨が取り上げられているのは知ってはいたものの、他人の手を借りずに、娘の手でそっと自然に還してあげたい。旅立たせてあげたいという気持ちがあったといいます。

しかし、散骨は本当に違法ではないのか? 船はどうしたら頼めるのだろうか? 仮に撒いて、もし不快に思われる方がいたらと、不安がつきませんでした。

そこでネットなどで調べて、もっと海洋散骨について知りたいと当社を訪問されたのです。

Sさん:「実は他社も比較検討するつもりだったんですよ。だけど羽田さんにお会いして、お世話になりたいと素直に思えました。父と同じように。自然のながれに感じて」

 

「人様に迷惑をかけてはいけない」という父の教え

Sさん:「小さいときから、「人様に迷惑をかけるな」と厳しく躾けられてきました。だから自分だけ良ければ良いというふうには思えないんです」

自分にとっては大切な父の遺灰でも、他人にとっては見知らぬ人の人骨にすぎない。撒く者と撒かれる側の立場の違い、感情の違いを受け止めなくてはならないと考えました。

Sさんは粉骨した遺灰を持参されましたが、当社でそれをさらに水質環境保全のために還元剤を使って無害化の処理を行いました。

Sさん:「これにはとっても共感を覚えました。父が言ってた、人の迷惑にならないようにという教えに沿えたと」

羽田:「残念ながらこうした海洋散骨のルールを守って散骨している業者ばかりではないのが、実情です。少しでも安いところと選ぶのは危険ですね。あとで後悔しないためにも」

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(※こちらの写真はイメージ画像です)

 

もう一度父に触れたという想い

遺灰を水溶性の袋にご自身で詰めてもらいました。

Sさん:「『あー、父なんだー』という不思議な気持ちになりました。何年たっていても……」

羽田:「お任せいただくこともできますが、ご自身でされて良かったと言ってくださるかたが多いんですよ」

Sさん:「もう一回、父に触れられたと思えて、あれは良い時間でしたね」

 

 

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蒼い海に浮かぶひまわりと想い出のウィスキー

8月はお父様の誕生月。Sさんは次男の方と合同クルーズに乗船されました。

あえて体験クルーズには乗船されませんでした。

Sさん:「その日、その時が初めてでありたいと思ったので」

大げさな行事にしないで、静かに自分だけで見送りたいというのがご希望でした。

Sさん:「主人に言えば、もちろん一緒に来てくれたのですが、私があえてこれは旧姓の私の家のこととして、静かに自分だけでしたかったんです。三人の息子がいますが、次男が代表で同乗してくれました」

Sさんは母の形見のバックを持って乗船しました。

Sさん:「母に一緒に連れていってあげるからねって」

八月の晴天の日。午後1時に出航。

Sさんは小学生の頃、お父様の仕事の関係で竹橋桟橋の近くに住んでいたとのこと。東京湾は懐かしい場所です。

手向けの花には、いつも誕生日に贈っていたひまわりの花を。夏の蒼い海に黄色いひまわりの花が映えて、きれいでした。

お父様の古希の祝いに孫が贈ったウィスキー。三人の孫が全員成人したら飲もうと楽しみにしながら、叶わず逝かれてしまいました。葬儀の際に開けた想い出のウィスキーを残してあったのを献酒しました。

散骨した後、レノン号はゆっくりと三周周り、汽笛を鳴らしてゆっくりとその場を離れました。

Sさん:「その時に次男が涙を流して泣いていたんです……。おじいちゃんが大好きな子でしたから。蒼い海にひまわりが遠く離れても見えて良かったですね」

最初、海洋散骨をするなら都会ではなく自然豊かな黒潮のような蒼い海のイメージを理想としていたといいます。でも東京湾は父にとって懐かしい思い出の場でもあり、気楽に会いに来られるから、結果的に一番良いかたちで父の願いを実現できたとSさんは語ります。

Sさん:「気軽に足を運べる距離の東京湾で良かったと思います。飛行機のおなかを見たのも初めて。いろいろな非日常な体験をさせてもらいました」

羽田:「飛行機を真下から見ることなんてめったにないですものね」

Sさん「あと、これは後付けと笑われるかもしれないけど、次男がきていた黒いシャツにスマイルのマークが汗じみになっていて。父が『もう、これ以上笑わすなよ』といったのが次男との最期の会話だったんですが、なんかそれを思い出して不思議でね……。おじいちゃんが喜んでいるって、次男が」

お父様は結婚式と最期の見舞いの時に、「娘を頼むな」と人生で二度、ご主人と固い握手をされたそうです。一人娘を託す父親の心からの願いでした。

七年の歳月を経て、お父様の散骨の願いを叶えてあげることが出来てやっと一区切りができたとしたと言います。

Sさん「でもこれも、無駄な月日ではなかったんだと思います。淋しいきもちもたしかにありました。でもほっとしましたね。やっと父の願いを叶えてあげて」

次男も『お母さん、今日で良かったね。いい日だったよ』と言ってくれました」

その後、ご両親のお墓にも報告に行かれました。

 

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伝えられなかった想いを直に伝えたくて

散骨から三日後、Sさんは散骨証明書を受けとりに来られました。

Sさん「郵送しますと言われたけれど、なんか名残り惜しくてね。会いにきちゃったのよね」

羽田:「散骨されたお客さまからお電話があったと聞いて、ドキッとしました。

何かやらかしてしまったかと……(笑)」

Sさん:「またびっくりさせてごめんね。でも、会いたかったの。あの場で『さようなら』じゃなくて」

羽田「こちらこそ、またお会いできてうれしいです」

Sさん:「羽田さんの自分を出しすぎずに、寄り添う一生懸命さに惚れちゃったのよ。私の気持ちを汲み取ろうとしてくれて嬉しかった。ありがとうを直に伝えたくて。これからも頑張って!」

羽田「励みになります。またいらしてくださいね。本当にありがとうございました!」

 

まだ振り返る気持ちには慣れないけど……

Sさん:「やっと父の願いをやっと叶えてあげて、一区切りついたばかりで……。まだ、メモリアルクルーズという気持ちにはなれないの。海に旅にでているなー。どこを旅しているかしらと……。まだ今は旅の出発点を振り返る気持ちにはなれないんです」

羽田から眺めてもいい。メモリークルーズで会いに来ることも。飛行機で空から、また屋形船で振り返ることも。その時の気持ちに合わせて会いたくなったら、いつでお参りすることができます。

羽田「急ぐことはないですよ。いつでもお気持ちが落ち着かれてからで」

Sさん:「そうね、羽田さんにもまた会いたいし。いつか……」

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自分もいつか、こんなふうにできたら

Sさんは老いて病む前に、次世代にきちんと願いを伝えておくことが終活の上で、子孝行になると感じたと言います。

両親を見送り、一人娘を自由に嫁がせてくれた両親への感謝を改めて感じ、その時、自分ができること、一番良かれと思うことをしてきました。

ご自身の願いを聞いてみると、

Sさん:「寺の檀家である夫の家の墓に一緒に入るのが、家族のためにも望ましいと思いますが、でも出来たら、私も分骨して父みたいにしたいという希望を持

っています。父が私に良い道を示してくれたんですね」

 

個人の希望と家族との関係。そのどちらも大切にして、ご希望に沿える選択肢のひとつとしてお役にたてたらと考えます。

羽田瑠夏
最初、散骨について色々な疑問を持たれていらっしゃいました。一つ一つ解消することができ、そこからお父様との思い出話や、散骨のルールに基づけば自分勝手な行動は父の教えに反する、とお話されていたところが今でも印象に残っています。
お話を聞いていて、とても素敵な方でこの方を育てられたお父様も素敵な方なのだろうと、感じたのも覚えています。
散骨当日もよく晴れていて、思い出のウィスキーもお手向けいただけ、こちら側からしてもお手伝いすることができとても嬉しく思っております。
散骨証明書を取りに来られたのはとても驚きましたが、「会いたかったから」と仰っていただけて本当に担当させていただくことができ、幸せです。

羽田瑠夏

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