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遺族様インタビュー

お客様よりいただいたインタビューのご紹介です。

2018/12/13 長谷川様

喪った痛みと共に、愛娘を海に還す「旅立ちの会」 「できるだけのことをできた」を生きる支えに

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自然葬を検討している時に急逝 「海に帰る」のが一番自然と実感

2017年の9月に娘の海洋散骨をしました。

海洋散骨については、もともと私自身が希望していたのです。主人の実家のお墓に入るイメージが浮かばず、子供も娘ひとり。私は実母を介護しながらお墓の面倒も見ていたのですが、それが負担になり始めていたのです。

今、生きている母の介護はいい。自分がしたいこと。けれど介護しながら菩提寺のこと、お墓のことまで考えるのは大変でした。いつまでこの流れが続くのだろう。娘にこんな苦労はさせたくない。それにいつかは必ず途切れてしまうという思いがありました。

そんなときに樹木葬の話を聞いたり、生協で海洋散骨の案内を見たりして、こういう方法があるのだと知りました。

樹木葬もいいけれど、結局のところ維持費・管理費がかかり続けるし、樹木という形が残ります。海洋散骨なら維持費・管理費もかからず、海に形を残すこともありません。場所が固定されることもなく、地球上でひとつにつながっている海に抱かれて眠ることができる。

そういったことに、とても心惹かれました。ご招待のクルーズには抽選で外れてしまったので、体験散骨を申し込んだのですが、その時点で、将来自分が散骨してもらうことは、ほぼ心に決めていました。

そんな時、娘が急逝してしまったのです。

信じられませんでした。

この数年、身内の不幸が続き、それぞれがきちんと片付ききらない、落ち着かない状態でいました。自分の散骨など、終活についても、いろいろ考えさせられていました。そこに、想像もしていなかった娘の死が襲いかかってきたのです。

自分がしてもらうはずだった海洋散骨。

けれど、娘が大好きだった海への散骨を、スムーズにすることができたのも大きなめぐりあわせだと思います。

自分は海洋散骨をしたいけれど、家族の反対があってできそうにないという話を聞くことがあります。私の知人でも、興味があるというので体験クルーズに誘ったら「自分は行くけれど、主人は誘っても行かないと言い張るので、ひとりで参加する」という人がいました。

我が家の場合、主人の大好きな石原裕次郎やスティーブ・マックィーンが海洋散骨をしていたこともあり、主人も娘も海洋散骨に賛成だったのがよかったですね。

娘は水族館や泳ぐことが大好き。オーストラリアでの素晴らしい留学経験や、韓国にお友達がいることなどからも、海に還るということがしっくりきていたようです。

人間はもともとリンでできています。お墓に入ったとしても、最終的には水分になるといいます。そういう意味からも、母なる海に還ることは、とても自然なことだと思えます。

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思い出に包まれたチャータークルーズ 細やかな心遣いに癒された時間

自分のためにお墓のことをよく考え、海洋散骨に決めていました。体験クルーズにも申し込み済みでした。心が決まっていたので、娘に対してもどのように見送るかについては、あれこれ迷う必要がなかったのです。自分が一番いいと思う方法で見送る。あとはそのための段取りだけでした。

段取りについては、ブルーオーシャンさんにお任せできたのが、本当によかったです。なんの心配もなく、娘のことだけを考えて、海洋散骨の日を迎えることができました。普通は葬儀、火葬から海洋散骨まではしばらく時間が空くことが多いそうですが、私たちは7月に葬儀を終え、9月に散骨をすることになりました。

夫婦の気持ちが決まっていたことに加え、すでに体験クルーズを申し込んでいたこと。さらに、最初は10月の合同散骨を予定したのですが、一緒に散骨したいという親族が増えたことから、親族だけで船をチャーターさせていただくことになったからです。

「10人前後の方がお集まりでしたら、お身内だけでチャーターしたほうが、ゆっくりと思うようにお見送りができます」。

このアドバイスはとてもありがたかったです。おかげで娘が学生時代に夢中だったブラスバンドの部のDVDを流し、音楽も娘たちの演奏。メモリアルコーナーにも娘が好きだったものをたくさん持ち込んで、私たちだけの「旅立ちの会」をさせていただくことができました。

「お別れ」「お見送り」「故人」などの言葉は使いたくない。そういう細かな希望もよく聞いていただき、深い配慮をいただいたこと、本当に感謝しています。

細かく、細かくなった娘を海に還した瞬間、娘の笑顔が頭の中に浮かびました。

「お母さんも行くから、その時まで待っていてね」心の中で、そう語りかけました。

娘を失った悲しみや喪失感は変わりませんが、親族みんなで娘の演奏する曲を聴きながら、母なる海に還してあげられた。

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粉骨から任せられる安心感 娘と一緒にいる気持ちを、いつまでも

娘を見送るなんて想像もしていなかった体験クルーズの申し込み時からずっと、ブルーオーシャンさんには、たくさんの配慮をいただいていました。

そして、娘の海洋散骨が決まってからは、担当の中島さんをはじめ、社長さん、船長さん、スタッフのみなさんがひとつとなって、愛する娘を亡くした私たちに寄り添ってくれていることを感じました。みなさんにとっては仕事のひとつです。けれど、真心を込めて娘の旅立ちの会を、よりよいものにしようとしてくれていること実感しました。そのことに、とても気持ちが癒されました。

散骨が終わってからも、折に触れて声をかけていただき、いろいろな心配りをいただいています。私たちの心に寄り添い続けていただていることを感じ、そのたびに心がふわっとあたたかくなります。

散骨の前には粉骨をしなければなりません。粉骨をしてくれる会社などはいくつかありますが、ブルーオーシャンさんでは立ち合い粉骨ができると聞いて、そこからお願いしました。

担当の中島さんと初めてお会いしたのは、粉骨のためにブルーオーシャンさんに伺った時のこと。娘と同じ年頃の娘さんが担当してくださるということで、私も主人もとてもうれしく感じました。偶然ということでしたが、本当によかったです。

粉骨の時に骨壷を開けます。火葬場からお墓に納める場合、そういうことはありませんよね。骨壷を開けた時の「また、会えた」という気持ち。その特別な思いも心に残っています。そうやって、思い出をかみしめながら、目の前で大切にお骨を扱っていただけることも安心でした。

そして粉骨したお骨を、美しく包んでくださったこと。これも忘れられません。ピンク色を基調に、かわいらしく包まれた小さな箱を見て感動しました。早くこの姿にしてあげればよかった。そう思いました。

娘の部屋の出窓に包みを置き、その下の娘のベッドに横たわったとき、娘が亡くなって以来の穏やかな眠りに包まれて、久しぶりにぐっすり寝ることができました。

お骨はすべて海に還すつもりでしたが、直前になって「やはり、なにもなくなってしまうのは…」と迷いが出て、小片を手元に遺すことにしました。

たまたまですが、娘の好きだったアニメに出てくるキャラクターと同じ名前がついた愛らしい骨壷に納めて娘の机の上に置いています。私か主人が亡くなった時に、一緒に粉骨し、散骨してもらうことになっています。

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癒えることない悲しみを抱え 娘と語り合うメモリアルクルーズ

母や祖母はよく言っていました。「人は生まれた時から寿命が決まっている」と。娘の寿命が20歳と決まっていた。そう思うとやりきれない気持ちと、どうしようもなかったのだという気持ちが入り混じります。

それでも成人式の晴れ姿を見せてもらった。親としての経験をさせてもらった。それをありがたいこと、大切なことだと胸に抱いていくしかありません。納得できているわけではないのですが、どんなに悲しんでも後悔しても、逝ってしまった人が還ってくることはない。主人とも、お互いにそう言葉を掛け合って、苦しくても辛くてもと心に刻んでいます。。

けれど、心の整理はできませんね。一生できないでしょう。

5月は娘の誕生日。命日は7月です。5月、6月、7月はしんどいです。目に見えない、自分でもはっきり感じない、検査しても出てくることはない心と体の不調に壊れそうになります。

でも、メモリアルクルーズでまた娘に会いに行く。会いに行けると思うと、なんとか気持ちを立て直すことができます。これがお墓だったら、またちょっと違ったかもしれません。

広々とした海の上を、デッキで風を受けながら散骨ポイントまで進みます。周りに人がいない時には大きな声で「会いに来たよ」と娘に声をかけたり、大好きだったシャボン玉を思い切り飛ばしたりします。

地球全体つながっている海で、行きたいところに行き、好きなように過ごしている。そう思えると、心が安らぎます。海で自由を満喫しながら、私たちを待っていてくれると思えます。

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自分もいつか海に還る その時まで生かされる命を大切に

「我が家には、もう一切、これ以上の悲しみも心配事もない」。

娘の死に遭った時、主人がもらした言葉です。

これ以上の悲しみも心配事も、私たちの人生にはあり得ない。本当にその通りです。

時間というものは尊いもので、今の私は「到底立ち直れない」と思ったどん底の苦しみからは、なんとか抜け出せていると思います。けれど、たとえテレビのお笑い番組を見て笑っている時でも、以前とはまったく違います。

もう一生、心の底から笑ったり楽しんだり、感動することはない。主人も私も。

同時に、あれ以上の苦しみも悲しみも、今後起きることはありません。

以前の私は、娘のためにご飯をつくり、家事をして、毎日生きることが当たり前でした。日々を生きていました。

今は生かされていると感じます。自主的に生きているのではなく、いつか娘のもとに行くまでの時間を生かされているのだと。

ただ、そんな私にもできることがあります。

知人の紹介で高齢者介護施設の入居者の皆さんにお茶を出したり、ちょっとしたお世話や話し相手をしたりする仕事を紹介してもらいました。家ではない場所で、私のするべきことがある。少しですが、狭まっていた視野が広がる気がします。

娘を亡くして以来、塞ぎきってはいたものの、ずっと家にひとりでいるのも苦しくなり始めていたタイミングでのことです。そんな巡り合わせも娘のはからいのように感じて、施設への行き帰りにはいつも「ありがとう」「今日も頑張ろうね」「お疲れ様ね」と娘と会話しながら、川沿いの道を帰ります。小さな川ですが、この川も海につながっている。そう思うと気持ちが安らぎます。

そしてもうひとつ、自分の体験を必要な人に伝えられることも、私にとってのやりがいになっています。

ブルーオーシャンさんに呼んでいただき、葬儀について学ぶ学生さんの前で海洋散骨の話をすること。

大切な人を亡くした人の集まりにも参加しています。愛する人を亡くすと、耐えきれないほどの喪失感の中で、葬儀をどうするか、お墓をどうするか…そういった多くの課題が降りかかってきます。待ったなしの葬儀と火葬を終えて、手元に遺されたお骨をどうしようかと悩んでいる人も少なくないことを知りました。

そういう人たちに、私自身の体験をお話しする機会があるのはよいことだと思います。

海洋散骨を勧めるということではなく、知ってもらうことで選択肢のひとつにしてもらうことができるからです。知らないまま、納得しきれないお見送りをして、後から「そういうものがあるのなら選びたかった。情報がほしかった」と思うのでは、喪失感のうえに後悔まで残ってしまいます。

大切な人を失った心の痛みが消えることはないけれど、できるだけのことをしたという気持ちがあれば、その後の人生を続けていく支えのひとつになると、自分自身の経験から実感しています。

中島みづき
小学生の時に母を亡くしたことから、大切な人を見送る方々のための仕事をしたいと思うようになりました。自分自身が海洋散骨を考えているため、数ある葬儀の仕事の中で当社を希望しました。
お見送りの最初から最後までを担当させていただいたのは、長谷川様が初めてです。不慣れな私にいつも穏やかに接していただきました。また、学校や会社で習った言葉遣い、段取りとは違うご要望が多々あったため、たくさんの経験と勉強をさせていただきました。
メモリアルクルーズや、当社の催しでお会いできることを、いつも楽しみにしています。

中島みづき

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