お客様の声

選択してください

遺族様インタビュー

お客様よりいただいたインタビューのご紹介です。

2019/01/14 齋藤様

「おふくろ、お疲れ様。もう休んでいいよ」 -家族の病と闘った8年間

DSCN1533

家族に迷惑をかけたくないと思っていても、病に倒れればそうはいきません。家族の関係は決して美談で語れるものでもなく、愛する家族であるがゆえに甘え、傷つけてしまう。また家族だからこそ、どんなに苦しくても見放せない。悩みを人に語ることを憚りながら、家族のことで深く悩んでいる人はたくさんいることでしょう。家族でいることの難しさ、尊さを教えてくれた男性にお会いしました。

斎藤なおひとさん、41歳。お母さまのくみこさんを昨年の7月に67歳でなくされ、故人の希望で8月に当社の合同クルーズで海洋散骨をされました。

父の脳出血の後遺症と膵臓がんの母を抱えて闘病の八年間

 斎藤さんのお父様が脳内出血で倒れたのは59歳の時、まだ定年前で働き盛りの時でした。以前から脳動脈瘤奇形が検査で見つかっていて、脳内出血のリスクを医師から言われていたのです。しかし、手術をしないでも何事もなく天寿を全うする人も少なくないこと、開頭手術の危険性を考えてそのままにしていました。幸い命はとりとめましたが、それ以後、後遺症の高次脳機能障害で悩むことに。

当時、なおひとさんはまだ30代前半でした。

高次脳機能障害ってご存知ですか? 脳血管の病気や事故による脳の外傷により、脳が損傷されておこる機能障害です。記憶や言語障害から、着替えや行動など日常生活に支障をきたす障害、そして社会的な行動障害と脳の損傷部位によって、幅広く原因も症状も異なり、一概に一括りできない障害と言われています。なおひとさんのお父様の場合は感情を抑制できず、暴言や暴力にでる社会的機能障害でした。身体的な障害と違って、外からはわかりにくく自覚症状も薄いため、「隠れた障害」と思われています。脳梗塞や脳内出血、事故による頭部損傷をきっかけに誰にも起こりうる疾患なのです。本人も家族も精神的疾患と受け入れるのに抵抗を感じながら、多くの人が悩み苦しんでいます。

SONY DSC

高次脳機能障害によって別人に変わってしまった父

斎藤さん:「倒れるまえの親父は筋が通った一本気な人で、尊敬する立派な父でした。それがすっかり別人になってしまって。同じ人間とは思えないですよ」

気に食わないことがあると、激高して暴言や暴力を起こし、一度始まるとコントロールできなくなるそうです。言ったことは都合よく忘れて、すべて人のせい。

病気だからとわかっていても、家族はたまったものではありません。

 

ストレスで今度は母が膵臓がんに

 そうした日々の中で、今度は母親のくみこさんが膵炎から膵臓癌に。

癌を告知されたときは、既にステージ4でした。この5年間は入退院を繰り返す母を送り迎えする日々。

斎藤さん:「親父が母の寿命を縮めたと思いますよ。本人は全く分かっていませんが」

そんな父を「いつか元に戻る」と家族は信じていました。しかし「年単位で快復していく」といった医師の言葉は、身体的な障害には言えますが、精神的な快復は望めないと、この8年で痛感しています。

当時、妻がメンタルな治療を受けさせた方が良いと助言しましたが、実の息子である、斎藤さんには届きませんでした。

CIMG0041

父のことが原因で妻と離婚へ

そして父親のことが原因で離婚することになります。お二人には7歳の娘さんが一人。家族にとってこの八年間がどれだけ大変であったことかと……。

斎藤さん:「今なら、妻の助言が正しかった。親子より義理の関係の方が冷静に現実を見ていたとわかりますが……。俺も母も親父が治ると信じたかったんですよね」

暴言、暴行、攻撃的な行動は家族以外にも及びました。外で見ず知らぬ人とのトラブルもしょっちゅう。そんな父親との生活に、誰もが疲労していました。施設への入所を考えたくても、鑑定委員が来ると、理路整然と対応できるので、障害がなかなか認められません。また本人が入所を拒否しているため、施設への入所もできないのだと言います。他人が家に入ることを嫌うため、ヘルパーさんも頼めずに、一人息子の斎藤さんが、父のことも母のことも一人で背負って今日に到ります。

SONY DSC

最愛の母の遺言—「おとうさんよりも長生きして」

 癌とわかってから、くみこさんは揉めずに静かに暮らすことを願いました。

それまで、病気のせいだとわかってはいても、父親の無茶な言動になんど喧嘩をし、殴り合いもしたことか……。しかし、母の願いを聞いてひたすらに平和な時間をと、努力します。

早くに母を亡くし、弟や妹を親代わりに育ててきた母。そして結婚生活43年の最後の8年はまさかの激動の歳月でした。苦労が多かった母親でしたが、安らかな死顔だったことが救いだったといいます。

斎藤さん「元妻に母の訃報を知らせると、電話の向こうですすり泣く声が聞こえました。父とは病気もあって険悪でしたが、母とは仲がよくて、今でも感謝していると言ってくれました……」

母の遺言は「お願い、お父さんよりも長生きしてね。 へそくりはみんなあなたにあげるからね」

斎藤さん:「父がね、『俺より先に逝きやがって』と淋し気に何度も言うんですよ。それなら、生きているときにもっと気遣えばよいのにと思うけど。まったく自分のせいだとはわかっていないんだから」

 

「お墓にははいりたくないの」 母の強い希望で散骨に

斎藤家には曽祖父が建立した墓があります。祖父母の代までは檀家で信仰も厚かったようですが、両親は信仰を持たず、これからの墓の継承についても疑問を感じていたようです。

斎藤さん:「母がね、『狭いお墓には入りたくない。散骨にして』と強く希望していたんです。本人の希望を叶えてあげたいですから」

檀家だったのは先祖までのこと、信仰もなく、寺にある先祖の墓を守る意味の大きさを感じないといいます。先祖が寺に建立したお墓を墓じまいするには、離壇して改装するのに300万円もかかるということに大きな疑問を持っています。

斎藤さん:「少子化で、人生の選択も増えて、家族の意識も変化していく中で、家のお墓を守ることはどんどん難しくなるでしょうね。お墓の継承の心配もなく、自然に還れる散骨がこれからはいいと思いました」

SONY DSC

遺骨の受け取り訪問で打ち解けて

当社に海洋散骨の申し込みを受けて、新人の羽田が遺骨を受け取りに訪問しました。

羽田「初めてお会いしたのに、2,3時間もお話ししてしまったんですよね」

斎藤さん:「なんか通じるものを感じたんだよね。いきなり、いろいろ家庭のこととか、すべて聞いてもらって」

羽田「互いの家族のこととか、親戚関係のことでお話しがはずんで」

斎藤さん:「最近亡くなられたご親戚の方のことを、『自分の死をもって、家族の悲しみを体感させてくれている』って聞いて、感動しましたよ。葬送の仕事を学生時代からしたいと考えていたんでしょう。まだ若いのに」

羽田:「中学の時くらいから、親戚の葬儀にでて、なんとなくこんな仕事をしたいなと考えていました。『死』をもって何かを教えてくれていると思うんですよね」

斎藤さん:「我が家の事情もみんな聞いてもらったし、それを聞いてこの人ならすべてを任せられるって思ったんですよ。本当にそれで良かった」

羽田:「ありがとうございます。あの時にお父様にもお会いしたんですよね」

斎藤さん「そうそう、たまたま病院から帰ってきて」

羽田:「ご挨拶させていただきましたが、とくにそんな難しい問題がある方には見えませんでした」

斎藤さん:「でしょう。外面がいい「内弁慶」なんだってば。だから鑑定委員にもわかってもらえない。大変なんだから、家族は。母の癌がわかったら、離婚すると言いだすし。今、そんなこと言っている場合じゃないだろうって。ふざけんなですよ!」

 

SONY DSC

真夏の海に還っていった母 母の遺灰を持ち帰った父

8月の合同クルーズに、お父様とくみこさんの三人の弟さん、妹さんと斎藤さんの5人で乗船されました。

それぞれに袋に入れられた遺灰を海に流します。

斎藤さん:「海に放つと、あっという間に紙が溶けて、海になじんでいくようで。

『あー、海に還っていくんだな』と思いました」

自然に還るのを見届けた感じがしたといいます。

羽田「お父様が、遺灰を全部流さずに、少し持ち帰られたんですよね」

斎藤さん:「そうそう、びっくりしたよね。あんなに苦労をかけといて……。

俺も叔父や叔母も全部海に流したのにさ……」

羽田「やっぱりお母さまのことを大切に思っていらしたんですね」

斎藤さん:「袋に1/3か半分くらい残して、そのまま持ち帰ったの。今は家のお茶が入っていた缶に入れて置いている。すっかり海洋散骨が気に入って、『俺が死んだら時も同じようにしてくれって』」

羽田「クルーズ中、お父様が興奮されることなどなくて、良かったです」

斎藤さん:「本当にそれは助かった。もしも同じ船で騒ぐ人がいたら、激昂して大変だったけど、そんな人はいなかったから。叔父や叔母も散骨が良かったって気に入っていたよ。」

 

元妻と娘と一緒にメモリアルクルーズへ

11月にはいり、斎藤さんは元妻と7歳の娘さんとメモリアルクルーズに乗船されました。孫を可愛がっていたお母様でしたが、散骨で病気の父親と娘を会わせるわけにはいきませんでした。いつ何時興奮して、悪態をつき傷つけるかわからないのです。メモリアルクルーズでは三人だけで静かな時間を過ごしました。

斎藤さん:「それでも父は、娘のことを俺の血を継ぐただ一人の孫だって言っていますがね……」

7歳の娘さんには。おばあちゃんはもういなくなって、海に溶けているんだよと伝えたそうです。

斎藤さん:「娘はかもめに餌をあげるのがすっかり気に入っていました」

羽田:「夏にはいなかったかもめが戻ってきて、船に餌をもとめてやってくるのです。娘さん可愛かったですね」

斎藤さん:「元妻も母のことは好きで、世話になったと感謝してくれました……。

羽田さんにもいろいろ気配りをしてもらってありがとう! こんなに若いのにこれだけ仕事ができる人はなかなかいないですよ」

羽田:「こちらこそ、良い経験をさせていただきました。ありがとうございます」

SONY DSC

母の遺言と祖母の遺言を守って

 斎藤さん:「たいへんな父親だけど、父が天寿を全うするまでは自分が面倒をみるしかないよね」

身体的に日常生活が厳しくなるか、認知が進めば「要介護」と認定され、施設の入所や支援も受けられるようですが。本人が承諾しない限り、支援さえ受けられない状況です。

外からはわかりづらい精神的疾患の患者と家族への支援が届かない社会福祉の現状。社会でもっと理解していきたいと思いました。

斎藤さんにはもう一つ守らなくてはと思っていることがあります。両親は共働きのため、斎藤さんはおばあちゃん子で育ちました。その祖母が10年前に他界するときに、独身の父の妹の面倒を斎藤さんに託したのでした。

母の遺言の「父よりも長生きすること」、祖母の遺言の「叔母の面倒をみること」を しっかり果たそうとする斎藤さんです。

 

供養はかたちではなく、心にとどめるもの

斎藤さんは今でも、母が入院していた病院の前を通る度に、母との日々を思い出します。闘病中の通院、入退院の送り迎えを斎藤さんがしてきたのです。

斎藤さん:「お墓とか位牌とか形に遺すものではなくて、供養は心にとどめるものなんじゃないですかね。忘れないのが一番の供養だと思っています」

 

いろいろな家族の関係、葬送も供養もいろいろ

家族の問題ほど難しいものはありません。いろいろな家族があって、様々な問題を抱えながら、私たちは生きています。そこに正解といえる答えはないのかもしれません。

「お墓はいらない」とはっきり語る斎藤さんが、こんなにも家族を大切にして、ふりかかった人生から逃げずに努力でしていること。きっと先祖の方は理解してくれ、見守ってくださることでしょう。

先祖の墓を守らずに「墓じまい」とは、けしからんという非難も耳にします。先祖から受け継いだ命を無駄にせずに一生懸命に生きること、幸せになること。それが何よりの先祖供養だと思いました。

いろいろな家庭があり、問題も関係もさまざま。お客様のご要望に少しでもお応えして、お役にたてたら嬉しく思います。

 

羽田 瑠夏
散骨についてのお話、お母様やお父様、ご自身のお話、沢山お聞きし当日はどういった散骨をしたいのかなど、長時間にわたって打ち合わせさせていただきました。
また、当日は一緒にご乗船できなかった元奥様、お嬢様も後日メモリアルクルーズにご乗船いただきました。お嬢様にとって墓石のないお墓参りですが、幼いながらも真摯に散骨ということを受け入れてくれたと、齋藤様から後日お聞きしました。
打ち合わせから散骨当日、またお参りのメモリアルクルーズまで対応させていただきました。
お客様に散骨後、何度もお会いできることは少ないのでモチベーションにもつながり、とても嬉しいです。

羽田 瑠夏

MENU